体験談 電磁波過敏症が発症から7ヶ月で殆ど完治の状態に、生後7ヶ月からの左耳感音性難聴(全く聞こえない状態)が少しずつ聞こえるように、化学物質過敏症から2年間無かった月経が治り、左手首にあったガングリオン(しこり)も取って頂きました(1/3)

〇〇A子

私にとって、今年は激動的な1年でした。その存在すら知らなかった電磁波過敏症を発症し、私の生きて行ける場所はないと悲観的になった後、先生に殆ど完治に近い状態に治して頂き、その後に45年間右耳だけで生活をしてきて、一度でいいから両耳で音を聞いてみたいと思っていた左耳を聞こえるようにして頂きました。
学生の頃、親しい友人にきっと片方しか聞こえないって両耳で聞く音と違うよ、ステレオのスピーカーだって1つと2つと違うじゃない、と言われ、音が小さくなるだけで同じだと思うと答えたのを思い出します。
実際、聞こえるようになって、違っていました。
1回目の施術の翌日、歩いていて、横を走ってゆく車の音がいつもと違うことから気がつきました。ほわーっと、厚みがあって、柔らかくて、きれいに響いている。すべてが生まれて初めて聞く音です。飛行機の音、バスの音、鳥の声も、次々と聞いてまわるのが楽しくなり、2週間は興奮状態でした。何を聞いても美しい。CDプレーヤーも車の中のCDプレーヤーも、ホームオーディオのようにとてもきれいな音と響きに変わり感激して何度も聞き返しました。以前は音が平面的で、今では片耳の時よりもすべてが立体的に聞こえ、音自体も大きくなり、細かい音など、今まで聞こえていなかった音があったことにも気がつきました。こんなにも違うものかと本当に驚きの連続でした。各症状の経緯を、発症した順に説明したいと思います。

1. 電磁波過敏症発症の経緯

20年前にCDを聞いていると、耳の中が腫れるような(実際には腫れていないが)感覚になり、そのうちに顔がこわばり、気持ちが悪くなる。それが最初の症状だったのだと思う。

2003年~   長時間、新幹線、飛行機、車に乗ると耳の中がパンパン
に腫れるような感覚になり、顔もこわばり、頭痛、手足が
痺れ小刻みに震えだし、体中がだるく、息苦しくなる症状
が始まった。病院に行っても原因が判らなかった。

2005年6月  石油精製工場の分析室の隣の事務所で、就業開始から
1週間で、急に船酔いのように気持ちが悪くなり、息苦し
くなり、体中が熱く感じ、数分しゃがみ込むことを繰り
返す。
その症状が最初1週間に1回30分位だったのが、段々
と感覚が狭まり、最後、殆ど毎日、午前と午後症状が
でた。
派遣会社からは、診断書がなければ退社できないと
言われるが、派遣先の上司が看護士さんに相談をした
ところ、ひどくなる前にすぐに辞めた方がいいとのことで
辞める。

2006年8月  発電所の現場事務で、石油精製工場のときと同じ症状
になり、産業医に診てもらったところ、職場だけで他の
場所で何も起こらないのなら、職場での化学物質に
直接反応をしている可能性がある、すぐ辞めた方が
いいと言われ辞める。
現場の男性から、この辺は化学物質はない、電磁波
なら分かるけど、と言われたが、その時は、電磁波
過敏症の知識は全くなかった。

[電磁波過敏症のきっかけとなった電器メーカーでの勤務]

2006年
11月16日   勤務開始。卓上にデスクトップとノートパソコンがあり、
デスクトップの方を使い始めて20分位で気持ちが悪く
なり、退社まで、ノートパソコンのみで仕事をした。

12月4日    足元のケーブルを踏んでいたためか、数日前から痺れ
始めた左足の裏つま先に近部分がじんじん痛み始め、
そのうち足の付け根の部分が痛み出した。

2007年
1月5日     1月4日に再び左足の裏つま先に近い部分が痛み出した
ので、総合病院でレントゲンを撮って診てもらうが、原因
は判らず。痛み止めを渡される。

3月19日    課内のレイアウト替え。
足元に以前より多くのケーブル。その日を境に症状が
悪化 し始める。以前より耳の中が腫れぼったい感覚
になり、頭痛や、体が小刻みに震えるようになる。

4月2日     急に今までにない動悸に襲われ、気持ちが悪く、
息苦しくなる。
帰宅途中に立ち寄ったコンビニのATMの前に立った
途端、ATMのディスプレイ辺りから、何万本の小さい針
のようなものがザザザーとくる。
1メートル位横にずれてみると、スーっと引いていった。
自宅のインターネットで調べ電磁波過敏症ではないか
と思い始める。

4月3日    朝から気持ちが悪く、会社を休む。派遣会社の担当者
に相談したところ、電磁派過敏症の知人がいるとの
ことですぐ理解をしてもらう。

4月4日    派遣会社から派遣先の上司に説明があったようで、
パソコンの周りのケーブル全てに電磁波カットをつけて
くれた。午前中調子が良かったが、午後コンビニのとき
のように、パソコンのディスプレイからザザザーとくる
ものを感じ始める。
電磁波用のエプロンをかけると、エプロンで体を覆って
いる部分だけスーっと消え、腕の部分は感じ続ける。

4月5日    上司の薦めでパソコンにフィルターをつける。画面は
暗くなったが、嘘のように眼精疲労がなくなった。

4月6日    事務所のある棟から隣の食堂の棟に来ると症状が
全く消えた。事務所にいても靄に中に入っているような
感じになり、たまに船酔いのような状態になる。
一度我慢ができない程の状態になると、回復する
のに数日かかるようになる。
コンビニでの蛍光灯に反応し始める。

4月7日    電車に反応。モーターのそばにいると気持ち悪くなる。

4月8日    電気敷毛布に反応し始める。横になると背中から
ブブブと電気を軽く通す感じ。

4月9日    会社を休んで一日寝ている。目の奥から頭にかけて
痛む。耳鳴りも大きい。

4月10日    会社を休む。派遣会社に携帯電話で連絡をしている
途中、携帯電話に反応し始める。

4月11日    会社を休む。こたつに反応し始める。異常にだるく
なり、気持ち悪く座っていられない。その場で横に
なったが、こたつから出ると治った。

4月13日    会社を休む。午前中、思い当たる病院に次々と電話
して、K病院で診てもらえそうなことが分かった。
車の反応も始まっていたので、往復2時間、途中で
どうなるか心配だったが出発。病院の中で反応。
予約の合間に入れてもらったが、30分の
待ち時間、気持ち悪くふらふら。
医師に今までの症状など話したところ、申し訳
ありません、私には分かりませんとのこと。
他のアレルギー科の医師が分かるかもしれない
ので、また来てくださいと言われた。

4月16日    前の席の人に聞かれ、今日はいつもより大分体調が
いいと答えると先週末、足元のケーブルを床に埋め
込む工事をしたとのこと。自分の分からない所に
あるトランス、ケーブルなどの場所が分かるようになり、
機械より正確だと言われる。 午後、気持ちが悪く
なり始め早退。

4月17日    午前中で早退。

4月18~25日  会社を休む。

4月20日    シャンプーの匂いが、何年も経った分離したような変
な臭い変わっていることに気がつく。新しいシャンプー
を買いに行ったが、どれも変な臭い。もしかしたら化学
物質にも反応しているのかと思い、無香料シャンプー
を買った。

4月25日    化学物質過敏症と電磁波過敏症研究の専門病院へ
行き検査を受ける。バスに反応。病院の中、街の中、
どこも臭わない毒ガスの中にいるよう、強くなったり
弱くなったりの繰り返し。
このまま症状が進んでしまうのか不安で医師に聞いた
ところ、あなたの場合、まだ若いし軽症だから、
これ以上悪くならないでしょう。今が10だったら2までは
治る可能性がある。でも高周波は治らないでしょうね。
反応するものからは離れて下さい、と言われた。
そのときまだ「高周波」の意味が分からず聞き返したら、
携帯のアンテナとか...と言われた。
夜、のどが痛くなり、息苦しくなった。
※ この専門病院では、
①神経学的検査[眼球運動検査(眼球電位図)、
電子瞳孔計を用いた自律神経検査]
②甲状腺機能検査、を受けた。

3週間後に送られてきた結果は、
①眼球運動検査は、「中枢性眼球障害が認められ
ました」、自立神経機能検査では、「軽度の自立神経
の不安定が認められました」
②甲状腺機能検査は異常なしだった。

4月26日    テレビに反応するようになった。20分位で気持ち悪くなる。
入浴中、体中が痒くなった。一日数回息苦しくなり、動悸
が始まった。

4月27日    午前中のみの出勤。退社する。

4月29日    テレビが全く観られなくなる。

4月30日    入浴中、湯船の湯沸かし器側の面に足を近づけると軽く
電気を通したようにピリピリし始める。
2階の部屋の角付近に来ると、風呂の中で感じたように
ピリピリした。今まで気づかなかったが、外を見ると電線
に一番近い場所だった。
家の中の蛍光灯に反応し始めた。夕方電気をつけると、
20分位で耳鳴り、動悸が始まった。

5月1日     犬の散歩に出かけたが、気持ち悪くなりすぐ家に戻る。
電線に反応し始める。リビング、居間、自分の部屋、
電気がつく頃には、どこにいても頭痛、耳鳴り、気持ち
が悪くなる。自宅の電話も20分が限界になった。
家中のコンセントを抜いて、雨戸を閉めたところ、少し
楽になった。

5月2日     冷蔵庫以外コンセントを抜き、一日中雨戸を閉めた。
耳鳴りがいつもと違う。まるで生き物のように微妙に
音が変化する。
原因を知りたくて母と車で見てまわると、家から50m先
のPHSアンテナ(後で分かる)付近では、母も私もお腹
からグワンとなるように気持ち悪くなり、次に見つけた
以前になかった2件先の電柱の上にある携帯の
アンテナに近付くと、気持ちが悪くなり、あの“生き物
のような”耳鳴りがした。

5月4日     自分のベッドで携帯のアンテナに反応。大きくブブブと
体中の何か沸騰して体が跳ねる感じ。アンテナから
一番遠い母の部屋に布団を敷いて横になる。
頭の中に楕円のボールがあり、その両端を鷹の爪の
ようにものに掴まれてぐるんぐるん回されているようで、
痛いし気持ち悪い。体はフライパンで炒っているポップ
コーンのように小刻みにぴょんぴょん跳ねる、何が
起こっているのか理解できず、恐怖感。

頭痛、耳鳴り、息苦しい、全てが ピークだった。

こんなに苦しくても救急車に乗れない、電気、電波
だらけの病院には行かれないと思った。
一睡もせず、唯一反応のない浴室の中に座り、半日
過ごした。

5月5日     昼前に横になりたくて、反応が出るのを承知で、
一階の部屋の簡易ベッドに横になる。頭痛、耳鳴り、
気持ちが悪く、体中の力が入らない、のどが痛く
かなり息苦しい、一回一回意識しなければ呼吸が
止まってしまう。このままでは危ないと思った。
どこかに移動するのに体は動くのか、どこに行けば
いいか全く分からない。

母がご近所の人に相談、S温泉なら電波が届かない
ことを確認して、連泊はできないとのことで一泊予約
をしてもらい、家を出た。車を走らせ10分、周りが
田や畑の多いコンビニに着いたら、さっきまでの
症状は消えていてびっくりした。
S温泉は、電気、電線、トランスに反応したが、少し
眠ることができた。

5月6日     症状が戻ることを承知で帰宅。数時間で症状が戻る。
アンテナからの耳鳴りが、使用のピーク時に合わせて
大きさも変わり、人の話し声のようにも聞こえる
電波音、びよーん、びよん、びびび。1:45amに静か
になった。かなり苦しく、車で昨日のコンビニの近くに
行って寝ようと思ったが、老齢の母もいるので
我慢した。

5月7日     昼頃、我慢できず家を出る。電磁波過敏症の人で
鉄筋のホテルを避ける人がいることを知らず、行った
ことのあるK簡保に行った。携帯のアンテナも近く
なさそう、電源コードはすぐ抜かせてもらう。
洗面所の換気扇に反応した。
床の下に電線があることを考え、簡易ベッドを入れて
もらう。何とか泊まることができた。

5月8日     電波の届かないところに引っ越そうと、K市内の
不動産屋さんを4件回った。いいと思うと犬がだめ、
犬が大丈夫であれば携帯中継塔の近くというように
決まらなかった。
2泊目。昨日と部屋が替わる。段々と気持ちが悪く
なり、また発作のように息が殆どできない。急いで
ホテルの人に調べてもらうと部屋の一部が階下の
ボイラー室にかかっていることが分かり、部屋を
替えてもらい、その症状は出なくなった。

[携帯の電波の届かない避難場所が見つかる]

5月9日     チェックアウト後、行く当てがなく出発。立ち寄った
旅館で、もっと山奥に電波が入らない旅館がある
と聞いて行ってみたところ、連泊は無理とのことで、
諦めて事情を話したところ、母屋を貸して下さるの
こと。信じられず、嬉しかった。
その日、自宅へ荷物を取りに戻り、その夜から
生活が始まる。

5月10日    食糧買出し。港町で海上無線が強いのか、今まで
以上に街中を歩いているだけでふらふらする。

5月11日    夕方財布がないことに気がつき、交番に電話を
したら警察署にあると言われ警察署へ行く。
警察署の中に入ると気持ちが悪くなる。外に
出たら消防署のアンテナに反応。
Jショッピングセンターに買出し、建物の上に何社
もの携帯アンテナがオンパレードという感じ。
殆ど買い物ができず、10分が限界。

5月12日    1日横になる。
移って来た当事何も反応なかったのが、少しずつ
反応し始める。

5月14日     今まで耳鳴りがこんなに大きくなることはなかった。
首を振ると、ぐわんぐわん頭の中で響く。
体をたたくと少しよくなる、1時間たたき続けたが、
耳鳴りの音は小さくならない。前述の専門病院の
帰り購入した72弁のオルゴールを聴いてみると
聴いているときだけ鳴り止む。2時間聴く。
また、その専門病院でサウナに入るよう言われた
ことを思い出し、車で30分山を2つ越えた所に
ある日帰り温泉のサウナに通い始める。
食生活も豆や海草を摂るようにした。人が歩ける
道には電線やトランスがあり、 近くにある観測所
のアンテナに反応するため歩いての外出は
できなかった。

5月20日    避難後、初めて換気のため自宅に帰る。
すぐ苦しくなりソファーに横になる。
引越しの用意もできない。宅配で頼んでおいた
電磁波関係の本を受け取り、避難先の家に
戻ったあと読むと、同じ症状の人の体験談。
その中に、気功で殆ど完治、横浜という文字を
見つけ、ここに行かれさえすれば治すことが
できると思ったが、気功院の名前はなく、問い
合わせは受けないとあったので、自宅に
戻ったときインターネットで調べることにした。
コンビニで、近くで携帯を使っている人がいると、
見ていなくても分かるようなる。
暗い中車を走らせているとき、見ていなくても
送電線と携帯の中継塔の区別がつくようになる。

5月23日   自宅へ戻る、2時間が限界。パソコンまで余裕
がなく、殆ど何もしないで避難先の家に戻る。
両足が電気のブーツを履いているように痺れて
重い。電磁波の本に書いてあったことを思い
出し、帰り重曹を買う。塩と重曹の足湯に入る
と軽くなった。

5月 31日  自宅へ戻る。少し体調がいい。インターネット
で福田さんの手記と出会う。この気功院かも
しれないと思い電話をした。まず本を読むよう
案内され、東京の書店に宅配の依頼をする。

6月 9日   自宅で本を受け取り、目を通して大明気功院
に予約の電話をする。
避難先の家に戻りゆっくり読む。

2. 電磁波過敏症の施術及び施術後の経緯

6月13日   施術1回目 避難先の家から、大明気功院
に行く。行きはバスでふらふらになりながら、
帰りは、バスの中の電子掲示のニュースまで
余裕で読める程回復していた。

施術後、先生より渡された携帯電話に全く
反応しない。初めての気功院で緊張もして
いたが、何が起こっているのか理解が出来
なかった。

電磁波を怖がらないこと、電磁波関係の本を
捨てること、完治することを青島先生と約束
した。 仕事を辞めた経緯を話すと、もっと早く
来れば辞めないで済んだのにね、もう仕事
していいよ、と言われ信じられなかった。

今日、家に帰ったら、一番出来ないと思う
ことをするよう言われ、一番出来ないことは
避難先から自宅の戻ることと思い、
思い切って自宅へ戻ってみることにした。

自宅で何時間経っても何も起こらない。

二度と戻れないと思っていた家に戻ること
ができ、自分のベッドで横になれたとき
涙が出た。

1ヶ月半振りにテレビを観る。
3時間観ても全く何も起こらない。

6月14日   自宅に戻り2泊目。電話、テレビ、冷蔵庫、
電子レンジ、1つ1つ確認しながら家中を
歩き回るが何も起こらない。携帯の
アンテナにも反応していない。

6月15日   避難先の家より自宅へ引き揚げる。

6月22日   施術2回目。 横浜みなとみらいの巨大
アンテナのあるドコモビルへ帰りに
行かれたら行ってみるよう先生より話し
があり、行ってみる。20分で反応。

7月3日    施術3回目
前回の施術のとき、運動するように言わ
れるが方法が分からなかったため聞く。
ストレッチは経絡を通じさせなくなることが
あるので、ダンベルと背筋、腹筋がいい
のではないかとアドバイスを頂く。

7月28日   施術4回目
再度、ドコモビルへ。30分これと言った
反応はない、完全という感じではなかった。

8月28日   施術5回目

10月30日   施術6回目
青島先生、岩園先生にもう良くなっている
と言われる。

仕事復帰。

2007年7月  1ヶ月派遣契約の事務職 車、電車、徒歩で
片道1時間通勤。
電車は、「モハ」の車両に乗る。最初、
足元の振動が大きいと思ったが、段々と
小さくなってゆき、その後全く何も起こらない。
パソコン、プリンター、コピー機、電話、
全て反応しない。

仕事に完全復帰できたと思った。

8月       1ヶ月派遣契約の事務職.。
車通勤。事務所の冷蔵庫の掃除をするが
反応なし。

[電磁波過敏症、卒業]

11月6日   施術の後、横浜みなとみらいのドコモ中継塔
のあるビルに行き、ビルの中に30分、外の
ベンチに30分居て、何も起こらなかった。

11月8日  避難先の家に滞在中、どうしてもクリア
できなかったJショッピングセンター に
再び行く。2時間居ても何も起こらなかった。

私の中でこの日をES卒業の日と決めた。

(2/3)へ続く