体験談『横浜の著名気功院で重度の化学物質過敏症と電磁波過敏症がほとんど完治の状態に』(1/4)

福田純子(元大学講師)

電子ピアノでジャズを弾き、何人もの友達と毎日長いメールを交換する。買ったばかりの化学繊維の服を、洗いもせずにそのまま着て、ストッキングをはいた足に買ったばかりのパンプスを履き、やはり買ったばかりのビニール素材のバッグを手に、明るい色に染めた髪をドライヤーでカールさせ、お化粧をして、CDショップやジャズハウスに出かける。耳にはMDウォークマンのイヤホン。

こんなことができる日を再び迎えられるとは、1年半前、気功に出会うまで、夢にも思っていませんでした。

私は、2年半前から重症の「化学物質過敏症」「電磁波過敏症」で、一時は北里研究所病院の再診で、有機農業を営んでいる地域で農業に携わることでしか生きていけないかもしれない。とまで言われたことがあるのです。

福島の山の中で療養して、かなり良くなったとはいうものの、首都圏ではマスクが手放せず、頭の中がいつもぼんやりとしていて、「もはや自分ではない、自分の抜け殻が生きているだけ」と感じる日々をすごしていたある日、横浜の有名な気功院「大明気功院」との出会いがあり、人生が変わりました。

今では、普通の主婦と全く変わらない生活を送っています。

ほぼ完治、と言って嘘ではないと思います。

3月には、北里研究所病院の宮田先生より、「過敏症は卒業」とおっしゃっていただきました。

以前の私のように、過敏症で、絶望の日々を過ごしていらっしゃる方々に、治癒への道があることをお知らせしたくて、ペンをとらせていただきます。

Ⅰ.化学物質過敏症と電磁波過敏症に苦しんだ日々

1.シックビルディング症候群から化学物質過敏症へ

まず、私の過敏症について、発症の経緯と、症状について、簡単にお話したいと思います。

私の過敏症は、職場の新築を原因とする、シックビルディング症候群が発端でした。

2002年4月、職場の建物を使用するようになってまもなく高熱が出て、気管支炎の症状が消えなくなりました。症状が悪化する時は必ず新築の建物に入った後であることから、「もしや」と思い、6月に北里大学病院を訪れたところ、「職場の新築が原因と思われる、典型的な化学物質過敏症」と診断されました。「今は気管支症状だけですが、近いうちに臭いに敏感になり、中枢神経の症状が出ると思われます。電磁波過敏症を併発する恐れがあるので、パソコン、携帯の使用は気をつけるように」との指示がありました。

2.電磁波過敏症を併発、化学物質過敏症も重症化

北里大学で勧められたとおり、温泉治療やエアロビクス、有機野菜を食べる、水に気をつける、などの対応を積極的に実行し、職場でも、私が新築の建物を使わずにすむよう対処してもらったのにも拘らず、2002年秋、職場で集中暖房が入った日を境に飛び火するように悪化し、休職に至ったばかりでなく、日常生活が全く不可能になりました。洗いざらしの古い木綿の服が3枚着られるだけで、古い木綿のTシャツでも、糸がポリエステルだと縫い目に沿って皮膚から出血するほどになりました。オーガニックコットンの下着すら10回洗っても、手を通しただけで皮膚がばりばりになってしまいます。ありとあらゆるプラスチック製品を取り除いた自宅にはかろうじていられるものの、他の建物には全く入れず、道を歩いていても、10メートル先を歩いている人のシャンプーの臭いで頭がぐらぐらします。有機栽培のじゃがいもですら、有機認証をとって日の浅いものだと、何かが土に残っていたのか、食べたとたんに口の中が腫れあがったりし、「やがて何も食べられなくなるのでは」という恐怖にも襲われました。

一方で、同時期に電磁波過敏症を併発。パソコン、電話、洗濯機、ありとあらゆる電気製品に、一瞬触れただけで全身が脱力して倒れこむような状態になりました。パソコンと電話が使えない上、紙や鉛筆にさえ反応するため、手紙を書くことすらままならず、周囲とのコミュニケーションもほとんどとれなくなってしまいました。

北里研究所病院まで再診していただきに行っても、30分電車に乗って着いた時はもうふらふらで、座っていることすらできず、待合室のソファに横になって、肩で息をして待っていました。

「有機農業の農家で雇ってもらうしか、生き延びる方法はないかもしれない」と、北里大学病院で言われたのは、この時のことです。

3.2度の転居と福島での療養

住んでいたのが首都圏の街中だったので、「空気のきれいなところに引っ越せば改善されるかもしれない」と考え、郊外に古アパートを探して転居したのですが、今度は新居近くのPHSアンテナに反応が起き、頭の中に細かい電線が入り込んでのた打ち回るように感じ、神経がぼろぼろになって、歩くのも困難なほどに衰弱してしまいました。

そんな時、福島に「携帯もPHSも圏外」の温泉宿があることを知り、夫に付き添われて必死の思いで移動し、1ヶ月をその温泉宿で、2ヶ月をその近くの空き家だった農家を借りて過ごしました。その後、夫の仕事の都合もあるので、症状がかなり軽快したところを見計らって、再び首都圏郊外に、築30年の一戸建ての貸家を新たに探して、再度の引越しをしました。

3ヶ月の療養生活で症状はかなりおさまっており、北里大学の再診でも、「療養の甲斐あって格段に良くなっている」と言われはしたものの、冒頭に書いたとおりマスクが手放せない状態で、電車に乗るだけで頭が朦朧としました。デパートや本屋にも何とか行けるのですが、マスクをしながらやっとこさっとこ、という状態です。自宅にいても、同じ場所にじっとしていると、携帯の電波が自分の体にたまってくるのを感じて、落ち着かなくなってきます。特に症状が出ていない時でも、頭がぼーっとしていて、自分が自分ではない感じ。電話もまだ、テブラホンなら何とか話せる、という程度。文章を書くことが生き甲斐であったのに、字を書くことが負担で、奇妙な誤字ばかり書いてしまいます。音楽を聴くのも大好きだったのに、CDプレーヤーがかかっていると、3メートル離れていても気分が悪くなるし、音楽を聴くこと自体が、脳に刺激が強いように思われて、疎ましい。という状態でした。

これでは、生きていても仕方がない。何か、方法はないものか。

人生を取り戻したくて、体に良さそうなものは何でも全て試し、必死で情報を仕入れました。北里研究所病院の宮田先生も、「効きそうなものは何でも試しなさい」とアドヴァイスしてくださいました。

そうして出会ったのが、「大明気功」だったのです。

2/4)へ続く
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