大明気功メディア掲載記事『遠隔気功の驚異』

[小学館文庫 「遠隔気功の驚異」池田弘志編著]

脳機能障害の幼児の誕生日に母子心中を決意

(P27~P29)

1歳半の時にお風呂で溺れて、脳幹など脳内に障害を受けたために自分の呼吸器官では呼吸をすることもできなくなった男の子がいます。親の不注意からだったようです。この幼児、Aクンは人工呼吸器をつけることで、やっと呼吸を続けているのでした。視力も失い、動作も満足にはいかず、かろうじて生きているだけでした。
Aクンのお母さんはほとんどあきらめていたのですが、同じ病院で自閉症の治療を受けていた子どもの母親Kさんから、青島師の気功の凄さを耳にしたのです。Kさんの話では、医者が治せないわが子の自閉症を青島師が気功ですっかり改善したということなのです。
「だまされたと思って、一度お願いしてみようかしら」とAクンのお母さんは青島師を訪れたそうです。
青島師は1回目の外気功で、Aクンの自発的な呼吸を連続2時間も続けることに成功。2回目の外気功で連続5時間と延長することができました。そして3回目には連続40時間、人工呼吸器なしにAクンは生き延びることができたのです。そして半年後の現在、Aクンは完全に人工呼吸器を外したまま、生活をしています。しかも、目が見えるようになり、動作も普通の子どものレベル近くまで追いつきそうだとのことです。
主治医はAクンの自発的な呼吸機能の回復はありえない、と診断していました。ですから、Aクンの信じがたい回復に立ち会って「この子はなんと生命力の強い子だろう!」と声を上げたそうです。お母さんの喜びようは言うまでもありません。
が、Aクンのケースにはこの喜び陰に、怖い裏話があるのです。Aクンが立ち直りのきざしを見せて2歳の誕生日を過ぎてまもなくのことです。お母さんは涙ながらに青島師に打ち明けました。
「もしも、青島先生のお力でも治らないようなら、この子の2歳の誕生日に私は親子心中をする決心を固めていたのです」
後日、そのエピソードを青島師は私に語りながら、
「ボクはその打ち明け話を聞いた瞬間、首筋の毛がゾーッと総毛立ちました」と首筋をなで上げ、青ざめた頬を一瞬、引きつらせました。その打ち明け話を聞いた私も総毛立ちました。ボディ・ブロウをくらったように”ムグッ”と奇声を発し、しばし口をきくことができません。
ちなみに、Aクンのお母さんに青島師を紹介した母親Kさんは、遠隔気功療法のことを平成12年初春の週刊ポストの特集記事で知ったそうです。
ただし、このAクンのケースは、青島師の出張・往診による対面式外気功が治癒の主な武器でした。遠隔気功療法は後々のことで、Aクンがかなりよくなってから、続けたそうです。

足を切断する前に、私に診させてください

(P29~P34)

青島師の遠隔気功療法による救急外科的なケースをご紹介します。
「足を切断しなければという人がいたら、100%、治せるとは言いませんが、手術する前に一度でも私に診させて下さい」と青島師は訴えています。
その背景には次のような事件があったのです。
平成12年11月7日。青島師の中国にいる親友Cさんから、
「母が壊疽で足を切らなければならなくなった。でも、高齢なのに今さら切るなんて、可哀想で見ていられない。なんとか足を切らないですむ道はないだろうか」とほとんど泣き声の電話が入りました。青島師がCさんによく聞いてみると、事態は切迫しています。
当初、Cさんの母の老女は右足の甲と足首の間のところに強い痛みが走ったのです。歩けないので、医師に往診してもらうと、右足が完全に冷たくなっていて、足首から膝にかけて紫色に変色している部分が目立つのです。「何か固いものに足を打ったのではないか」と痛みどめ薬と塗り薬を渡して、医師は診療を終えたのです。
でも、2日たってもぜんぜん良くならない。右足の患部が紫色からしだいに黒ずんできた。3日目に医師を呼んだところ「薬が合わないせいでしょう」との説明で、薬を塗らずに2日経過。この間にナスのように紫色の部分がみるみるうちに右足じゅうに広がって、膝まで上がってしまったのです。
13日になって初めて医師から「これは動脈血栓かもしれない」と総合病院に行くことになりました。総合病院でカラーのエコーによる検査を受けると、
「大変だ。血が流れていない。動脈が梗塞している。黒くなっている箇所をすぐ切り落とさないといけない」という宣告を受けたのです。
病院にいたCさんから横浜の青島師に連絡がとれたのは、その手術の診断がくだった日の夜でした。「なんとか足を切らずに、気功で治らないものか。死人のように、氷のようにものすごく足が冷たい」とCさんは泣いたそうです。「そこまで悪くなる前に、どうして連絡をしなかったのか」と青島師は半ば怒りながら、気を取り直して、担当医師に老女の容体を尋ねますと、担当医師は「右足は動脈血栓で、すでに死んでいる。そのまま放置して、切断しない場合は血が流れない部分がますます広がって、生命そのものをおびやかすことになる」との診断を告げたのです。
それでも青島師は「日本から気を送ります。もう一日、切るのを待ってください」ととりあえず、手術は延期してもらって、医師の了解を得るとすぐに携帯電話から10分ほど気を送ったのです。その携帯電話をCさんが握りしめ、受話器の聞き取り口からもれてくる”気”を、青島師が指示する通りに老女の患部のあちこち、そして全体に当てたのです。そうです、この場合は電話による遠隔気功療法なのです。気功師によっては、電話を使う電話療法を好むのです。
青島師が電話療法を行う時は、受話器の下部の話し口に唇を近づけて、息を”シューッ フウーッ”と音を立てて吹き込みます。「電話で気を送ったのは10分くらいでしょうか。その日のうちに紫色が少し薄れて、ナスのような色の足にピンク色が混じってきたそうです」と青島師。医師団は手術をとりあえず見合わせたとはいえ、完治したわけではありません。
翌14日、青島弘子夫人が中国に飛び立ちます。青島師の気のパワーをたっぷり吹き込んだ気功水を老女に届けるためです。老女は青島師の遠隔気功療法を1日に1回受け、かつ気功水を飲み続けました。電話療法は3日間続け、その間、青島師は気功の同門の兄弟弟子に頼んで、老女に直接気を送る対面式気功を1回ずつ行ってもらったのです。空陸両面気功作戦です。
15日になって、老女の足のピンク色の部分が増えてきたので、老女は総合病院から外科専門病院に移されました。でも、新しい医師も「やはり足が死んでいるから切るしかない」と前の担当医師と同じ見解です。そう考える医師を青島師はあきらめずに電話で説得。「もう一日・・・・・・もう一日」と手術を引き延ばし、その朝、青島師が気を送ると老女の足に少し温かみが出てきたのです。温かくなったということは、血が流れているということ。つまり壊疽の進行が止まった証拠です。
それでも医師は「また患部が広がっていくに違いないから、少し回復したくらいではだめだ」と言い張ります。悪質の壊疽が電話の気功などで治るはずがない、と決め込んでいるのでしょう。青島師と医師との間でまたまた激論が交わされます。それでも老女の容体の改善は事実なので、医師は少し考え直し、患部の血管を広げる薬の服用と血が固まらない薬を点滴で行い、再び手術の延期に同意したのです。
そして16日、主任の医師に診てもらうと「どうもすこし回復してきたようだ」と主任は気功の効果を初めて認めたのです。そして翌17日、カラーエコーの検査を受けると、右足に血栓はまったく見つからず、老女の右膝は白い皮膚にほぼ戻っていたのです。「よし、これなら手術の必要はない」との主任医師の診断。ただし、右足の動脈が少し細くなっていて、血流も正常より少し不足しているとのこと。「まだちょっと心配の種は残りました」と青島師。
幸いにも、青島師は平成12年暮れから13年1月14日まで、中国政府の招待で北京に飛びました。その機会を利用して、青島師は老女の容体を確認。「右足の指先は、まだ血が引いてない部分が残っていましたが、少しずつ色が薄くなってきています。大丈夫です」と笑顔で青島師は語る。
そして、「足を切る人がいたら、私に一度診させてください」とのメッセージにつながるのですが・・・・・・「まだ誰も診せにきてくれません」と苦笑しています。
今、青島師は中国政府の肝入りで、東京に世界初の公認気功師養成学院の設立におおわらわです。平成15年春、開校される同学院に中国本土からはもちろんのこと、アメリカその他世界各地に散在している優秀な気功師さんを東京に集結させて学習と実技指導にあたってもらう構想です。

気功の医療への活用に医師が挑戦した

(P46~P47)

医師や科学者は医学における客観的な臨床データをなによりも重んじます。そして、実験における客観性・普遍性・再現性は、3種の神器みたいなもの。
ですから、気功によって治癒したケースを山のように並べたとしても、
「気功をやった、効いた、治った、といくら並べ立てても、気功の宣伝にはなっても本当の説得力はありません。医学界では相手にされませんよ」とカラクチの批判をする医師がいるのです。東京女子医科大学名誉教授で板橋中央総合病院血液療法センター所長・阿岸鉄三医師です。カラクチの批判をしていますが、阿岸所長は気功の否定論者ではありません。否定どころか、気功による治療を実践しているバリバリの医師です。
東京女子医大時代から阿岸所長の主な治療対象は、腎臓の病気で血流が悪くなり、そのために血栓が動脈をふさいでしまい、結果そして足が腐るなどの症状(専門用語では閉塞性動脈硬化症)を治療してきた医師なのです。阿岸所長は気功を学会に認知してもらうために、気功を学問レベルに引き上げる努力をしてきました。
ここで阿岸所長の治療・研究に似たことをしていた気功師を、思い出しませんか。そうです、横浜市の青島大明師は壊疽にかかった老女の足を、手術・切断寸前に電話療法で救いましたね。まるでブラック・ジャックのように。

受話器から、気がシャンペンのように泡立つ

(P99~P101)

気功師の気の送り方一つにしても、私の見聞範囲内だけでも、人さまざまの個性があります。そして、気とは何かという見解も微妙に異なるようです。そうした事柄について私が目撃し、見聞した多少の体験から興味深い事例をご紹介しましょう。
横浜市の青島大明師は遠隔気功療法よりも、電話療法のほうが得意のようです。そのワケは中国から来日したての頃の救急の出来事に由来します。親戚の人が急病に倒れたという電話が中国から入りました。青島師は”なんとか治してほしい”と頼まれたのですが、中国に帰るわけにはいきません。
このさい大魔神みたいな急場のリリーフ投手を現場に送るために、本国の気功の同輩や先輩に電話連絡したのです。ところが、頼みの皆さんが外出中で応答なし。青島師はハタと困った・・・・・・そうなんです。当時の青島師は電話療法とはまったく無縁だったのです。”どうしたものか”とせっぱ詰まった時に、ふと思い出したのが子どもの頃に叔父や叔母から小耳にはさんだおハナシです。「山の向こうにいたままでな、遠くからワシらの病気を治してくれる老師がいる」という。
“ウム、私にもできるかもしれない”と思い立った青島師は電話の受話器を固く握りしめて・・・・・・それが電話療法とのなれそめだったのです。
「私は遠隔気功療法もできますが、最初に電話で成功したせいか、電話療法のほうが気持ちとして、やりやすいんです」
その青島師が施療室で電話療法進行形の現場を、私が目撃したのは平成11年12月25日午後1時頃です。気の受け手は群馬県高崎市在住の主婦・反町貴美子さん(当時49歳)です。反町さんは両目のズキーンと重苦しい痛みにこの10年間、悩んできました。青島師は反町さんに電話で声をかけます。
「最初に頭の百会(頭頂のツボ)に受話器の耳のほうを当ててくださいね。いいですか、次に受話器を頭から下げて、目の痛いところに当ててください」と青島さんは受話器の聞き取り口を当てる部位を、反町さんに次々に指示。その間、青島師は話し口に唇を近づけて、息を”シューッ””フーッ”と繰り返し、強く吹き込むのです。また、お線香の煙を受話器に向けたり、なにやら呟いています。指示に従って反町さんが受話器を患部やツボに当てていても、強く押しつけるわけではないので、青島師の大きな声は筒抜けに通るのです。
こうして受話器をしだいに下へ下へと順番にツボに降ろして、最後に足の爪先から体内の汚れた気(邪気とも呼ぶ)を外へ放出する動きをさせて、ワンラ(終了)です。
この電話療法は数分間で終わり、受話器をそのまま私のほうに差し出すと
「この受話器に手をかざしてみませんか」という青島師の勧めにのって、私は受話器の口を当てる話口のほうへ手を軽く当てて1~2秒。”ウワッ”と不覚にも声を上げ、熱いものに手を触れたように受話器から手を離しました。
何故ってその気の感触ときたら、グラスにそそいだばかりのシャンペンの泡の中に手を突っ込んだような(気の)勢いなのです。しかも、受話器を自分の頭のほうに向けると、気のパワーが頭におそいかかります。一瞬”クラクラーッ”とします。まるで暖かすぎる暖房の風にモロ直撃されたショックでした。

中国では、気は物質とされている

(P101~P103)

さて、青島師は気は生命の根源物質であると確信しています。物質であると。
「物質ですから、気の受け手が仮に拒否したいと思っても、気功師がそのつもりになれば気を受け手の内部に送りこむことができます。それは外科医がメスを使って体内を手術するのと同じように、気の力で相手の体内に入るんです」
その言葉に私は首をかしげました。受け手の気持ちしだいで外気功の効果は左右される、と気功師の大半は考えているからです。受け手が気功師の能力を信じていない場合や、気功に反感を持っている場合は、気の効き目が本来の力を失う、と気功師が語るのをさんざん聞きました。
それに関連する面白い裏話を、中国で修行してきた若い気功師に教えてもらったことがあります。気功を内心は信じていないのに表面は「よろしくお願いします」とそつなく挨拶する患者と対応する時の気功師の心がまえです。
こういう場合、気功師も本気で気を送っているような素振りをするそうです。
素振りです。そして終了後、患者が「ありがとうございました」と礼を述べ、後ろ姿を見せて気がゆるんだ瞬間に、気功師は今度は”本気の気”を患者に送るそうです。「リラックスしている相手なら、気の効果は確かです」とその気功師は笑顔で言いました。全部が全部、こんな芝居をしているわけではないでしょうが。
さて、そういう心理的な影響を軽視するかのような青島師の”メスで切り込む”・”気=物質”という言い方なので、私は首をかしげたのです。そして、「こういうところは、この人は筋金入りの唯物論者だな」と思いました。もっとも青島師は心のふれあいを大切にしないわけではありません。
「患者の回復にはご家族の理解と励ましが欠かせません」と心の大切さを痛切な表情で述懐しています。それに中国人らしく、神仏への祈りを欠かしません。
それはさておき「気とは何ぞや」に対する一つの回答が、青島師の”物質説”です。これは現代中国では定説になっている、と中国通から聞いています。

受話器の使い方が逆さまだった

(P270~P272)

電話療法のトラブルを、もう一例挙げましょう。電話療法なら、気功師と受け手の間で話し合いが続いているのですから、ミスはないはずと思いこみますが、受け手の勘違いによる凡ミスはあり。横浜市の青島大明師のケースです。
お年寄りが夜中に突然血圧が上がり、目まいや耳鳴りがするなどの不気味な症状に見舞われることは珍しいことではありません。大石妙子さん(67歳)は元々血圧が高いほうで、体質を変えるために青島師が催す気功の練習(練功)に参加したが、継続できなかったのです。ある夜、大石さんは血圧が200まで上がり、救急用の薬をのんでもいっこうに下がらない。怖くなりました。
このケースで青島師の指示は、受話器の聞き取り口のほうを大石さんの頭頂の百会(ツボ)に当てて、青島師の気を受ける。続いて青島師が指示するままに百会から前ひたいにかけて、聞き取り口を3回上下させる。さらに百会から首筋と喉のあたりを3回往復させる。症状によってそのやりかたは違いますが、この電話療法は1~2分で終わるという。
さて、その結果ですが、効果がなかった。いったい、どうしたことか?
翌朝、大石さんは血圧がほとんど下がらなかった旨を、青島師に電話で話してみたところ、電話の受話器の当て方が間違っていたことが分かったのです。受話器の聞き取り口ではなく、自分が声を送るマイクのほうを患部に当てていたのです。青島師の気が伝わるはずがありません。やり直し。
「30分後に血圧を計ってから、電話を下さい。」と青島師は伝えて、その場で気を送ります。大石さんが指示通りに受話器を当てると、終了直後に180あった血圧が150まで血圧が下がり、30分後には140台に落ちついたそうです。
ちょっと恥ずかしいミスではありましたが、これを機会に大石さんは気功の真価に目覚めます。それまでの彼女は外気功や電話療法の他力本願でしたが、自分から積極的に練功に努めるようになりました。
「自分で練功に励むようになってから、血圧がすっかり落ちついて、降圧剤も半減しました。本当に有り難いと思っています」