青島大明著『なぜ あなたの病気は治らないのか』感想文1
「人が病気になるの情報が原因である」と言ってしまえば現代的で理解されやすいけど、あえて「霊」という言葉を使うという記述については、いろいろと考えさせられました。私は、「気は情報である」という表現をとても分かりやすくて現代的で誤解のない素晴らしい表現だと思っていました。
それなのに、なぜ、わざわざ「霊」という言葉を使うのだろうかと思いました。
しかし、よく考えてみたらこの場合「霊」の方がより正確に言い表している言葉なのだと気付きました。「情報」というとそれは聞いた言葉や読んだ文章など、意識(認識)出来ている情報を指しているように感じられます。しかし、本人も気づかない内に悪い気が体に入ってしまうことがあるのだから、無意識に受け取る情報もあるわけで、意識・無意識の両方で受け取る情報を表す言葉として「霊」という表現が正しいのかもしれないと思いました。
以前、私が書いた化学物質過敏症(CS)に関するWebサイトへの問い合わせメールの中に、「青島先生は墓地に行くなと言っているが、私にとって先祖を供養することは大切であり、青島先生の言っていることを信じたくない」というものがありました。「それは誤解だ」と説明して納得してもらうことが出来ましたが、本書ではこの点についても詳しく書かれていて誤解無く伝わる内容になっていると思いました。
「法術とは気功の精度をより高くした方法」とのことですが、なぜ法術の方が気功よりも強力なのか疑問に思いました。私は気の強さ・弱さというのは、気への臨場感の強さ・弱さによるものだと考えています。気が存在するという実感、臨場感が強いほど、強い気を発せられるのだと思っています。
本書に書かれていることから法術がどのようなものであるかを想像すると、法術とは線香や呪文、お札などを使って情報を書き換える方法と理解しました。それらの方法がなぜ気功よりも強力なのかが不思議に思いました。
それから読んでいて疑問に思ったのは、情報空間にも物理空間のような原理原則があるのだろうかということです。これは気功を知ってからずっと疑問に思っていたことです。
例えば、物理空間で物と物をぶつけたら壊れたり、重力で物は地面に引っ張られるように、情報空間にも、そのような原理原則があるのでしょうか?
情報は頭の中に思い浮かべれば自由に変えることが出来ます。カレーのことを思い浮かべれば頭の中はカレーの情報に書き変わります。だけど、無意識にある情報は自由に書き換えることが出来ません。カレーのことを考えていても無意識では何を感じているかはわかりません。私が化学物質過敏症であった頃に、頭では「化学物質はそんなに危険ではない」と考えていても無意識では「怖い」と感じてしまい症状が無くなりませんでした。でも気功施術を受けたら症状が消えました。だから、気功・法術は無意識の情報を書き換える手段なんだと思います。
不思議なことに、今でも、時々、この洋服を着るとCSの症状が出るんじゃないかと不安に思ってから着ると、CSの時と同じ症状が出ます。思わないようにしようと思っても無意識が勝手に思ってしまいます。周天を回す功法をすると症状が弱まるけれど、完全には無くなりません。だけど、ある時、普通にその服を着られるようになっていたりします。その時には症状が出るのではないかという不安・恐怖心がありません。自分のことながら何がどうなってるのかさっぱりわかりません。
不思議です。まったく原理が見えてきません。
そういう意味でも情報の書き換え方法についてぜひ知りたいと思っています。
それから、「物事が分からなくても大丈夫。比べればいいのだから」というのは、なんて高い見識なんだと感激しました。釈迦の縁起の理論にも通じると思いました。「物事は全て縁起(関係)によって決まる。だから、この世の中に絶対の物差し(価値観)はない。」っていう理論に通じるなぁと。
このこと以外にも読んでいて、青島先生の理論によって、自分が知っている様々な知識が繋がって統合されていくように感じました。素晴らしい本を読ませて頂きありがとうございました。
【2011年6月19日 30代男性】