体験談『気功と鬱(うつ)病からの生還』

紅葉
重い鬱(うつ)病になり、現代医学の治療やさまざまな代替医療を行っても回復しなかった男性が、大明気功と出会い、熱心に施術を受け、練功を身につけて、病気を克服しました。
そして、勉強していたUSCPA(米国公認会計士)の試験にも無事合格しました。彼は、試験勉強中も気功を続けており、手記のなかで集中力や記憶力の増進にも気功が効果があることについて言及しています。
気功によって病気を克服し、本来持っている能力を十分に発揮できるようになった彼のエピソードは、私たちに大きな勇気を与えてくれます。

精神障害や精神発達に関する青島院長の論文もご覧ください。

世界医学気功学会発表論文

『気功による、脳や中枢神経に影響する「情報」的な病気の克服』

精神障害:境界性人格障害、不安神経症、認知症、自閉症、精神発達遅滞、癲癇、化学物質過敏症及び電磁波過敏症等の症例より

山下公恕(仮名 38歳)2010年2月21日掲載

私は重い鬱病でした。病院にも通っていた。坑鬱剤を服用して毎日が眠たくフラフラで、そして何処からともなく襲ってくる「不安感」と「恐怖」と「パニックアタック」に無抵抗に晒され、だんだん正常な人間として機能しなくなっていった。昼夜は逆になり、人目を避け家に閉じこもり、頭が四六時中重かった。さらに、人生で数々の挫折を経験し追い打ちをかけるように鬱病は悪化した。やがて無気力になり私は将来に対する希望を失っていた。「自殺」を考えることもあった。私の精神医学に対する不信感は根強い。薬を飲んでも改善の兆しが見えないのと、担当していた精神科医自身がメンタルに不安定な人であったので診察を受けるのが余計に鬱陶しく思えたことなどである。実際、精神科医の少なくない割合の人が実は精神病を患っているという統計データもある。これでは精神病が精神病を診ているようなものではないか?そんなところから私は代替医療を模索した。「断食療法」「カイロプラクティクス」「リンゴとニンジンジュース療法」「POSITIVE THINKING」を徹底的に行うセミナー、「屋久島散策マイナスイオン療法」などなど色々なことをやった。断食療法などはある一定以上の効果を上げることができたが、すぐに元の木阿弥に戻ってしまった。決定的な療法がない。一生このメンタルヘルスの病を抱えて生きていくしかない。もう諦めていた。しかし頭はガンガン重いままであった。大変だ!

「大明気功」は伊豆の断食道場の一室にある本棚にあった青島先生の本を手に取り初めて知った。しかし「気功」といえば、オカルト系のヤバイものだという先入観があったのでその時はやろうとは思わなかった。孔子も論語で「怪力乱神を語らず」というではないか。というのも、よくテレビでチャイナドレスを身にまとった気功師が有名人を「気」の力でふっ飛ばしたり、催眠にかけたりしていたのを観ていたからだ。ハッキリ言って「気功」というのはああいったオカルト・超能力系の一種だと思っていた。健康に効用があるなどとは露知らず。単なるショー的なものだと思っていた。しかし、メンタルヘルスの調子は依然として最悪であった。

伊豆の断食道場から一年半程たった。その間、複数の有名な識者(例:五木寛之-作家、苫米地英人-脳機能学者など)が気功が健康を増進するものであるということを著作の中で書いてあるのを目にした。それではやってみるか!と、思いたち、(なんと青島先生の気功院は私の住んでいる同じ横浜だった)大明気功院を訪ねた。

これからは私がどうやって気功を通して鬱病を克服したかという記録である。以前の私のように気功を誤解している人がいたらいけないのでまずこれを最初に言っておきたい。気功は中国の病院では気功科というSECTIONまで設けられている人口に膾炙した歴とした中医学の本流をなす医療である。治癒率など回帰分析統計データも揃っているので気功の医学的効用を否定するのは統計学的に不可能である。(ちなみに私は大学院で高度な統計学を学んだ。)西洋医学でも東洋医学でも統計的な治癒率の証拠があればそれは試してみるに値するということだ。

鬱病完治までの道のり-

① まずは青島大明先生が上梓された著作を全て読む。
② 気功院に決められた間隔で通って施術を受ける。
③ 気功の「大雁功」の64動作を正確にすべてマスターする。
④ よい「気」が集まる「龍脈」と呼ばれる山下公園の県民ホールの前あたりの芝生の上で、六時と十二時を意識して時間と天候の許す限り、徹底的に「大雁功」を信念をもって貫く。
⑤ 日常にそして人生において意識的に「積善・陰徳」の行いを重ねる。
⑥ いつのまにか「症状」が軽くなっていることに気付く。

① まずは青島大明先生が上梓された著作を全て読む。

気功のイロハを学ばなくては話にならないと思い、青島先生の著作は全て読破した。そして「気」のコントロール法として先生が推奨されるいくつかの方法を実践した。これも信じて行うことが肝要だ。以下は私が一番最初に手つけた「悪い気」を祓ってよせつけない生活法の一例。
●悪い思い出や「気」を吸っているようなものは自宅から全て処分した。
●両手に銀の時計とブレスレットを着用。悪い気を封じる。
●衣服や靴、身につけるものを黒系にして悪い気を封じる。
●今まで床に寝ていたのを、脚下が開いているBEDに変えて寝る。(床は悪い気が充満していると考えられる)
●悪い気が漂うようなところには極力行かない。(墓地など地縛霊の強い場所)
●テレビの悲惨な報道番組を見ない。NEWS番組でもそういう報道の時だけチャンネルを変える。
●床にはかばんや食物などを置かない。
●明るい絵を掛ける。

② 気功院に決められた間隔で通って施術を受ける。

これは基本である。施術の治療と自分の気功の実践は車の両輪である。どちらが欠けてもいけない。そして気功をしてくださる青島先生と岩園先生に感謝の気持ちをもって有り難く気功の施術を受けさせて頂いた。施術者と被施術者の信頼関係はとても大切なことだと信じる。

③ 気功の「大雁功」の64動作を正確にすべてマスターする

DVDの視聴は確かに助けにはなるけれど、やはり実際「気功練功」のクラスになるべく通うことが大切だ。私は64動作を覚えるまで岩園先生の「練功」クラスに週に3回?4回は熱心に足繁く通った。3ヶ月弱で全ての大雁功の64型ができるようになった。岩園先生の丁寧な熱のこもったクラスは初心者も安心で、無理なく大雁功ができるようになります。

④ 「龍脈」と呼ばれる山下公園の県民ホールの前あたりの芝生の上で6時と12時を意識して時間と天候の許す限り、徹底的に「大雁功」を信念をもって貫くことが治癒の要諦。

私は青島先生の著作に示されていた山下公園の県民ホールの前の芝生の上で大雁功を行うことを日課習慣とした。雨で山下公園でできないときは自宅で行った。私は山下公園の近くに駐車場を借りて毎日のように行った。特に夏や秋の山下公園での気功はとても心地良い。時に何度でも大雁功をやりたいと思ってしまう。気分が爽快になる。メンタルも軽くなる。そして体内の60兆の細胞が活性化するのが感じられるほど調子が良くなる。頭も記憶力も冴えてくる。というのも、当時私は鬱病を抱えながら米国公認会計士の資格取得のために勉強をしていたからわかるのだが、集中力や記憶力に増進にも気功は効果があると思う。勉強⇒気功、気功⇒勉強を続けるなか気功を始めて1年以内に今まで落ち続けた米国公認会計士の試験の全4科目に無事合格することができたからである。涙が出るほどありがたい話だ。

⑤ 日常にそして人生において意識的に「積善・陰徳」の行いを重ねる

青島先生のCLINICに「積善・成徳」と揮毫された掛け軸がある。私はこの掛け軸を見るや否やハッとした。それは畏怖ともいえる尊敬の気持です。私は今まで鬱病や腎臓病、癲癇からの転落事故、人生の不運に幾度となく見舞われてきた。考えるに、全ては私の家に流れる、「積悪の家には必ず余殃あり」という因果律の表れだと諦観していた。したがって不運や病気から立ち直るにはその真逆の「積善の家には余慶あり」という易経の言葉を地で行くような、積善陰徳系の人生を歩むことがとても大切であるということだ。この運命の大原則を私自身の拙い経験則から付け加えておく。財団を作るようなお金がない普通の人でも、世の中にはたくさん貢献していく方法があるのではないか。陰徳の行い積善の行いをするからこそ健康生活ができるのではないか。したがって気功を通して健康になれたのなら、その健康をもって世の中で積善陰徳の行いに向けていかなければいけないと、私は自分を言い聞かせるのです。積善陰徳の行いをして大明気功の施術に向かうのと、そうでないのでは効き方が違うということだ。気功師であられる青島先生と岩園先生にかかる負担も違ってくると信じる。なので治癒には積善陰徳系の行いや生活が大切だ。

⑥ いつのまにか「症状」が軽くなっていることに気付く。

国宝級の気功師「青島大明先生」に縁尋の機妙により邂逅し、大雁功という治療気功の極意を授けていただき、そしてそれに素直に一身に懸けていった。気が付いたら病気は軽くなっていた。米国公認会計士の試験にも合格できた。もっと人生にやる気を感じるようになった。元気や生命力が出てきたのが何よりも有り難い。そして、気功の素晴らしさを実感した。

「自彊息まず」といった不動心の精神に支えられた努力と気功の習慣化がないよりも大切です。
そして一度大明気功をやると決めたならば、-中国の王陽明の言葉で安岡正篤先生が敷衍している有名な言葉-
一掴一掌血一棒一条痕(いっかくいっしょうけついちぼういちじょうこん)の精神で頑張ることが気功治療の要諦です。

「一掴一掌血一棒一条痕」
一度掴(つか)んだらそのものに血の手形が着くぐらいに掴め、一本ピシリッと打ち込んだら、一生傷跡が残るほど打ち込め。 うろうろするな、へろへろするなということである。

私の体験談がみなさまのなんらかのお役にたてることがありましたら、望外の喜びです。みなさまも大明気功=大雁功を実践して健康に生きましょう! 気功は人生を変えます。それではみなさんも頑張ってください!
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